「男が生命をかけて立つ・・・」。

花に女を重ねるのは普通である。
だが、シンビには、男の生きざまを表わしている花があり、
こういう花に接するときは、大袈裟にいえば、そうとうな覚悟がいる。
花に負けてしまうからである。
この世に花を開く草木は、ランを含めておびただしくある。
だが、シンビの「男花」のように、
怒涛の男心を宿す花を・・・私は知らない。

今の時代----
ランを語るとき、ほとんど商売の方向からになった。
ランの美しさは商売のためにある。
「この花は使える」「売れる」。
だが、この花と互角に対することが出来れば、人間、本物であろう。

いつの間にか喪失した「本道」が、この花にある。
男なら、おのれの道を---.
「ランの王道」に生きろ。

Cymbidiumというランは、時代の流れを超えて・・・
「凛として・・・たおやか」である。
高浜虚子
闘志抱きて
丘に立つ

春風や

洋ラン界にはRHS,AOSの定めた美の「世界基準」なるものがあるが、
それは品種改良の一つの目標であって、万人に「解かる」花の美しさであろう。
RHS,AOSの美しさはキリスト教文化の「美」ともいえると思う。


それとは別に、宇井清太がこころに掬った「花」「美しさ」があっても良いと想う。
完成された花だけが美しいのではない。

花の「美」はそんなに簡単なものではない。
日本の文化が育んだ美学は、AOSが、RHSが捨てる花にも「美」を発見しこころ掬う。

Cymbidiumの深い美は、私に名歌、名句とオーバーラップさせた。


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